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『覆される死刑判決(裁判員裁判は誰のためにある?)』

覆される死刑判決(裁判員裁判は誰のためにある?)!


裁判員裁判
裁判員裁判は、プロの裁判官3人と一般から選ばれた6人の裁判官が有罪か無罪の判断と刑の重さを多数決で決める裁判制度です。

裁判とは、本来法律という専門知識と人間としての高い良識が問われるものだと思います。
法律の専門家でない一般の人が裁判の判決に加わるということは、とても難しいことだと思います。

裁判員裁判は、一般の人が審理に加わるのは一審のみで、二審はプロの裁判官だけで審理が行われます。
そうしたところに問題であると感じます。

 
【覆される死刑判決】
実は、この10年間で5件の死刑判決が覆されています。

2012年に大阪の路上で起きた通り魔事件が発生しました。
犯人の男が通りかかった二人を包丁で何度も刺し殺害しました。
この事件の一審は裁判員裁判となり、「死刑判決」が言い渡されます。
二審の大阪高等裁判所では、計画性が低いなどの理由により、無期懲役となりました。
この事件で、夫を殺害された妻は、インタビューに答えて「まさか一審の判決が覆るとは想像もしていなかった」と述べています。
事件の犯人は、刑務所から出たばかりで自殺したくて「人を殺せば死刑になる」と考え、なんの罪もない人、関係のない人を包丁で刺し殺したのです。
被害者の男性には妻と3人の娘がいます。
突然、夫、父親を失う家族の気持ちは経験したことのある人でなければ分からないと思います。とても深い悲しみや憤りなどの複雑な感情に襲われ、失望状態となったことでしょう。
裁判の中で娘さんたちは犯人に「お父さんを返せ」そう訴えました。


2009年千葉県松戸市で起きた女子大生殺害放火事件でも、一審の裁判員裁判では「死刑判決」が下りました。
ですが、二審の東京高等裁判所では、「無期懲役」にしました。
娘を殺害された母親は、「ひとつしかない命を殺されて、ひとりじゃ死刑にならないとは、どういうことなのか」と憤慨しています。

裁判員裁判に参加した人の話では、一審の判決を無視しているという感想を抱いたそうです。
それは「自分たちがあれだけやっていたことがいらなかったのではないか」そう疑問に思ったと述べています。


【なぜ、死刑判決は覆るのか?】
罪のない人の命を奪い、その家族の人生を変えてしまった犯人を到底許すことはできない。
極刑を望む。
それが、遺族の気持ちです。

そもそも法律の専門家でない一般の人がどうして裁判の判決に参加しなければならないのか?

裁判員裁判に参加した一般の方が一様に思うのが、自分たちの判断が犯人と被害者のその後の人生を決めてしまうという重大な出来事を任されているという重圧です。
万が一でも、無罪の人を有罪にしてしまったら悔いても悔やまれない。
それほど重大な責任なのだと受け止めているのです。
法律の専門家でもない人が、死刑判決を出すということは、「被告に対してこちらが加害者になる」という心境にもなるのです。

 

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【驚愕する判決の理由】
裁判員裁判の判決は多数決によって決まります。
しかし、一般の裁判員(6人)だけでは決定できない仕組みになっています。
多数の意見にプロの裁判官が最低でも一人は賛成しなければ、決定できない仕組みになっています。
その理由は、「法律を知らない人だけの偏った意見にしないため」であるといいます。
???
だったら、初めから一般の人を裁判に参加させるのはおかしいのではないでしょうか!

法律の専門家ではなく、一般の人の常識ある意見、考えを反映すために、一般の人を裁判に参加させて、有罪無罪、さらに量刑まで決めようとしているのが裁判員裁判ではないのでしょうか?

そもそも二審以降はプロの裁判官のみで判決するのなら、一審での市民裁判官は必要でしょうか?
わたしはそこに大きな疑問を持ちます。

しかも、二審ではプロの裁判官がすることは、一審で作られた書類に間違いがないかをチェックすることが中心だといいます。
一審に誤りがないかをチェックする役割だといいます。

もし、市民裁判官が参加したことで、過ちが起きやすいから二審でプロの裁判官によるチェックが必要というならば、一審での市民裁判官は必要ないはずです。
矛盾します。
審理の時間と人材の無駄遣いです。

しかし、大阪の通り魔殺人事件では、二審で「無期懲役」の判決がでました。
理由は「過去の死刑判決と公平性が取れない」というものです。
???
意味わかりますか?
普通の人は分かりませんよね。
裁判官という人たちは、どうして過去の判例ばかり気にするのでしょうか。
いくら勉強が出来ても、エリートでも、難しい法律を知っていても、どこか大きく欠けている部分があることを、当の裁判官の人たちはまったく気がついていないようです。
苦しみながら一審で判決を下した市民裁判官の人たちの苦悩と努力はどこへいってしまったのでしょうか?

このときの二審の裁判長の言葉には驚愕します。
「これまでの無差別殺人と比べ、計画性は低く、被害者が2名に留まっている」
「長年覚せい剤を使用したことによる精神障害の影響も否定できない」
はっ?
それが理由ですか?
それで理由になるのですか?
そう思わざるを得ません。


〈覆る理由〉
「裁判官は、失敗を嫌がる人種である」
裁判官や検察官などの職に就く人は勉強ができ、難しい法律を知っています。
いわゆるエリートです。
そうした人たちに共通しているのが、失敗を避ける性格を形成している、ということです。
ですから、過去の判例に照らし合わせることで、自分勝手な判断じゃないんだよ。
過去にもこうした判決が下っているのだよ、と責任を回避する姿勢が見られることです。
ですが、それで人を裁く仕事が出来ますか?


「裁判官は、エリート意識が強い」
エリートである裁判官の深層心理は、素人の市民裁判官の判断に反発する深層心理が働いていることが考えられます。
エリートのプライドです。
つまり、市民裁判官の判決を覆すことで、自分たちの存在意義を見つけ出そうとしている心理が働いています。


「裁判官は裁判員裁判を重要視していない」
裁判官の本音を聞けば素人が難しい法律を駆使して判決することなんて無理だと思っているのです。
だから、市民裁判官のことを内心では信用していないのです。
むしろ邪魔な存在とさえ思っている裁判官のほうか多いのではないでしょうか。
実際に、市民裁判官をやった人がそう感じたと述べています。


「残された遺族や被害者の家族の気持ちや生活をほとんど考慮していない」
裁判官という人たちは、死んだ人間よりも、生きている人の肩をもつ傾向があるのです。
死んでしまった人のことは何もしてやれない。
それよりも罪を犯したが、まだ生きている人間の更生や扱いを大事にしているように見えてしかたがないのです。

また、裁判官という人たちは、犯人によって家族を殺され悲しみに暮れ、生活に支障が起きてもそれを考慮しないということが挙げられます。
家族を殺された遺族の心はズタズタに傷ついているのです。
それを考慮しないというのは、法律とはいったい誰のためにあるのか理解に苦しみます。
この点は一番わたしが言いたいところです。


【個人的な意見】
「生きて反省しなくていい。死刑を受け入れてください」
この言葉は大阪の通り魔殺人事件での、夫を殺害された妻が二審で被告を前にして言った言葉です。


裁判員裁判とは、なんのための制度ですか?
誰のための制度ですか?
わたしには疑問しかありません。

どうして過去の判例と比較して、まったく別の事件の判決を決めなくてはならないのですか?

古代メソポタミアには「ハムラビ法典」というものがあります。
そこには「目には目を。歯には歯を」という言葉があります。
その意味は、他人の目を傷つけた罰として目を潰される、ということです。
つまり、犯した罪とつり合う罰を与えるということです。
犯した罪以上の罰を与えてもいけないし、犯した罪以下でもいけないということです。
公平、公正を考えるのならば、「死には死」となるのではないですか?
2人の人間を殺しても死刑にならないならば、公平性、平等ではないですよ。

人を一人殺害するということは、その命を奪った罪と残された遺族に死にたくなるような精神的苦痛を与えるということです。
つまり、複数の人を苦しめ人生を台無しにしたことになるのです。
罪は罪として、その責任を取らせることが殺された人と遺族に対する正しい裁判であると、わたしは思います。

いまの裁判の在り方は、明らかに被害者の遺族の立場を軽視し過ぎています。


わたしは言いたい。
裁判官も検事も警察官も完璧な人間ではない。
間違いや罪を犯すこともある。
さらに現代社会の法律は、完全無欠のものではない。
欠陥や不備な点がたくさんある。
法律とはなんのためにあるのか?
裁判は誰のためにあるのか?
正しさとはいったいなんなのか?
そうしたことを理解して欲しい、考えて欲しい、そう思います。

はたして裁判員裁判は本当に必要ですか?
市民を裁判に巻き込むならば、陪審員制度にするべきではないでしょうか?

人間が正しい判断を出せないのならば、AIに任せた方がこれからの裁判はいいという市民の声が聞えてくるかもしれません。

未来では、AI裁判官が出現していることでしょう。

これからの社会が、被害者と被害者の家族にとって納得のいく裁判制度になって欲しいです。


お読みいただきありがとうございました。