幸せな未来を考えたい人のための幸せな明日を探せるブログ

「(旧タイトル:サーチライト)AIなどの最先端技術と人間の幸せが両立する社会を実現(目指す)するための提言」

『AIシンギュラリティ(特異点)について』

 今回は、AIシンギュラリティ(特異点について話していきます。

 

 未来社会を考える上で、どうしても取り上げなければならないのが「AI(人工知能)」であることは間違いないでしょう。
2018年は、「AI(人工知能)」という言葉が世の中に浸透し、AIを使った技術や製品がテレビやCMなどで目にする機会もだいぶ増えました。

 

 ですからAIということが未来社会を考える重要な要素であることは間違いないのです。

 

 専門家や学者、AIを開発しているひと、あるいはそれに携わっているひとたちはAIによって世の中を変えていこうとしています。

でも、わたしみたいな専門家でもない素人には難しいところであります。
ですから、このブログではAIについて、あまり専門的に深く難しい議論を述べたりはしません。
AIの技術そのものが、どうのこうのという議論は少なくして、むしろその技術や製品、現象が世の中や、わたしたちの生活にどう影響するのかという視点でこのブログを書き綴っていきたいと思います。

 

 ですから、むしろAI初心者の方にたくさん読んでいただきたいブログとしたいと思っております。
もちろん取り上げる題材はAIに限りませんので、他の面白そうな題材や技術や話題、ときには都市伝説なども取り上げて未来社会を探っていきたいと思います。

 

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 話をもとに戻すと、「シンギュラリティ」とは、日本語で特異点とも訳されます。
別の言い方では「技術的特異点とも言います。

 

 特異点とは、もともとは数学や物理学で使用されている言葉です。
意味は「ある基準のもと、その基準が適用できない点である」ウィキペディア
数学では「関数の値が無限大になる場所を指す」
となりますが、難しくてなにを言っているのかわかりませんよね。

 

 これをAIとからめて言ってしまうと、「いずれ、AI(人工知能)の能力が私たち人類の知能を上回ってしまう。やがて来るであろう未来予測(時点)のこと」なのです。

 

 つまり、人類の過去の歴史から現在人が持っている知識や情報をすべて集めたものをAIが持ってしまうのではないかと予測されているとうことです。

ちなみにシンギュラリティという言葉を使用し、世界的に広めたのがアメリカ人のレイ・カーツワイルという方で、実業家でもあり発明家でもある人です。
彼は未来学者でもあって、AIが人類の知性(知能)を越えてしまう時点、つまりシンギュラリティは2045年だと予測しています。
だとすると、あと26年ということになります。
ん~ん。
26年か!
長いようで、あっという間なのかもしれませんね!
(ただ、2045年というのはあくまでも予測なので、早まったり遅くなったりすることも十分あり得ます。だとしてもあと二三十年後ということになります)


【疑問】
例えば、日本における秀才の集団である東京大学で話をしましょう。
現役の東大生のみならず、過去の卒業生すべての知識をたったひとりで集め持っている人がいたとしたらどうでしょうか。
そんな人がいたら超超天才です!

 

 人間が一日に学習できる時間は有限です。
いくら優秀な人間でも天才と言われている人でも限られた時間を使って本を読んだり勉強したりしなくてはなりません。
それに比べてAIは、いま現在も加速度的に進歩しています。
ですから、AIの学習するスピードに人間はとても追い付けないでしょう。

 

 例えば、アインシュタインの頭脳ゲーテの知性ブッダの悟りエジソンの発想力など。
こうした知性の塊、天才の頭脳や知恵をひとつに集めることが出来たらどうしますか?
それをあなたは欲しいですか?
もし、AIの進歩でアインシュタインの生み出した理論を簡単にあなたの頭脳にインプットして使用(この場合考える)することが出来るとしたら、あなたはそれを望みますか?
エジソンと同じように発明を次から次へと生み出す発想力が手に入るとしたら、どうしますか?
またあなたはそれに対してお金を払いますか?

 

 もしかしたら、そうしたことが可能になることがありうるかもしれません。
もちろん、ここで大事なのは倫理です。
人間の良心の問題です。
さらに人間とは何なんだ? という根本的な問題にぶつかります。
つまり、そうした技術が手に入るとしても、人として許されるのかどうか、ということが議論されるでしょう。
欲しいから手に入れるというだけの論理ではなく、するべきことなのかどうかという議論がでるでしょう。

 

 アインシュタインの理論や人生、考えたことなどのデータベース(情報)があればそれをAIの技術によっていつでも取り出して使用することは、未来社会において可能なのではないかと思います。
(あくまでも個人の勝手な想像です)

 

 たしかに人類の歴史には、知の巨人といわれる人が存在しますが、その数百倍、数万倍の情報や知識を持ったひとは過去にも現代にも存在しないと思います。

AIはそれを世界中のありとあらゆる知識と情報をあつめて学習し、なおかつ使用できるようになるかもしれないというのです。

 

【現時点での認識】
 AIがこのまま進歩を続けていったら、その先にあるのは、地上のどんな秀才や天才も敵わないほどの知識、情報を持つ存在が現われるだろう、という未来予測が「シンギュラリティ(特異点)」なのです。


【勝手な未来予測】
 さぁ、未来はどんな社会になるでしょうか?
AIの進歩によって「映画ターミネーター」のように人工知能が暴走し、人類が淘汰されてしまうのか?
それとも人類がAIを駆使して、人類にとってよりよい便利なものとして上手に使いこなしているのか?

可能性としては、どちらもありうるのではないかと思います。
(詳しい論はまた折々にさせていただきます)

 

 もちろん、映画ターミネーターのような世界はフィクションであって、そんな世界は来るはずがないと考える人もいるでしょう。
わたしから言えば、それは「来ないで欲しい」という深層心理からきているのと、現状のAI技術から導き出した答えではないでしょうか?

 

 たしかに現状のAIは進歩したといっても、まだよちよち歩きの赤ん坊にしかすぎないでしょう。
人工知能という言葉で表現すると、なにか高尚な装置のようですが、現実には人間が作ったプログラムにしか過ぎないし、人間の手によって大量のデータを読み込んで学習をしなければなりません。
つまり、人間が生み出し、人間が育て、人間が使用している、ということです。
この現状からすると、人工知能が人間の意思を無視したり、人間の指示なしに動いたり、人類を敵として淘汰するなんてことが起きるはずがないと考えても不思議ではありません。

 

 しかし、その認識はあくまでも、現状の性能から導き出されたものにすぎないのです。
昭和の初めに、パソコンの存在を予測した人がいたでしょうか?
戦後の世の中で、あと数十年したらスマホなる便利なものが出現すると預言した人がいたでしょうか?

 

 そうです。
いつの時代でも未来予測はとても難しいのです。
人間は常に、自分が立っている時代と社会の束縛の中から簡単には抜け出せないのです。

 

 地球上のありとあらゆるデータ(情報)、知識が一つになったとしたらどうなるのか?
それは人類の誰も経験したことのない境地なのです。
ですから、映画ターミネーターのような世界が絶対に来ないとは言い切れないということなのです。

 

 ただ、人類が滅んでもいいと考える人間は基本的にいないと思いますから、ターミネーターのような世界がもし近づくとしたら、それを阻止するのも人間でしょう。
人類が自分たちを滅ぼすようなAIには進化させないようにするはずです。
しかし、人類を上回った知性、情報を持ったAIが暴走したら、あるいはAIを悪用する人間が現われたとしたら、そのときどうなるかですね。

 

 結局、専門家でも学者でもAIの技術がこのまま進歩したら、未来がどうなるのかはわかっていないのです。
だって、そのとき人類の知性をはるかに超えているのですから。

幼稚園児が大学教授の頭脳を理解出来ない以上のことが起きるでしょう。

 

 ただ、はっきりしていることがあります。

 

 AIはこれからも進歩を続けます
間違いなく。
それは加速的に

 

 そして、これからの社会はAI無しでは考えられない世の中となるでしょう。

 

 むしろ、AIというものがありとあらゆる人間の生活、社会に入り込んで、AIという言葉を意識することなく、逆に当たり前の世の中になっていることでしょう。
さまざまな製品、商品、身近な物にAIが入り込んでいくでしょう。
それは人間の目に見える場合もあれば、AIが使用されていること、AIが関係していることを知らない場合があるはずです。

しかし。わたしは考えます。
ターミネーターのようなAIが人間を支配、操作する世界は好ましくない。
大切なことは人類のために、人間の幸福のためにAIが存在しなくてはならないということです。

 

【もしも・・・】
 もし、ターミネーターが現われたらどうするかって?
もちろん、地下組織を作って対抗しますよ!!
そうならない社会を望みますけど!

 

 (ここで語られたことは、現在起きている事実と、わたし個人が勝手に想像した意見とが混じっていますので、ご了承くださいませ。)

 お読みくださり、誠にありがとうございました。